by mezzopiano
Twitter……いや、X(慣れないよ!)で、いくつかの音楽団体、何人かの職業音楽家をフォローしている。プロとして活動されている方も、SNSでは正直に、というか1人の人間として普段思っていることをつらつらと書き留めているように思う。私ども一般市民が第一線で活躍されている方々の音楽観や感情を垣間見れてしまうので、私はSNSが割と好きだったりする。
プロの音楽家の方々はアウトリーチ活動の一貫で一般の小学校、中学校など子供たちの前で演奏する機会がある。どうもそのたびに「子供たちに『ウケる』曲を演奏すべきかどうか」という悩みや意見が演奏する側・聴衆(の親)側双方から湧いている様子である。
もちろん全員がSNSを使っているわけではないし、色々と考えがあってもSNSに書きこまない人もいるので、SNSで見かける意見が全てではないのは承知だが、聴く側……といってもSNSに書いているのは実際に聴く側ではなく、その”保護者”……は、「子供たちの知っている流行の曲をやってくれたらいいのに」という意見を持っているようだ。
演奏する側の意見はというと。
とある交響楽団に所属する奏者の方の投稿である。
「子供にとっては知らない曲というのがほとんどであるから、数少ない知っている曲を演奏するのではなく、知らない曲をどれだけ魅力的に伝えるか。」
概ねこういう内容だった。
私はコンサートピアニストではないので、聴衆にとってこの曲はどうなのか(ウケるのか)ということを考える機会はほとんどないのだが、教本を選ぶ時に似たような悩みを持っていたので、この投稿が心に引っ掛かった。
ピアノはポピュラーな習い事なので教本の種類も非常に多い。何十年前から使われているかっちりとした王道路線のものもあれば、あまり練習しない子供に寄せて作られたライトなものまで多種多様である。
そこで子供が「知っている曲」が入っている教本の方が食いつきが良いのではないか?とか、流行りのポップスを簡単に編曲したり、サビのメロディーだけでも弾けて、「知っている曲」を学校でみんなの前でちょろっと披露できたらそれでいいんじゃないか?だとか、もやもやと考えることもあった。
現代社会は情報が多すぎるくらいだ。選択肢が増えたとも言うか。「知っている曲」「定番の曲」は一瞬の煌めきを見せた後、すぐに消えてゆく。ゆえにその定義は非常に不安定なのである。サブスク、動画配信サイトの充実で「今はこの曲みんな知っているよね!」といった曲もある一方、その曲は数ヶ月後、下手したら1ヶ月後にはすでに押し流されている。
教本の中に収録されている定番の曲といえば童謡や民謡だ。みんな知っているかも知れないが、学校で友達に”披露”する流行の曲とはまた違うし、30年前の子供たちはみんな知っていた童謡や民謡を聴かせても「この曲知らな〜い、聴いたことな〜い」ということがしばしば起こる。
「知っている曲」などというものは流動的で、少なく、範囲が狭い。
なので、交響楽団の方の投稿にウンウン、と頷いた。そもそも「知っている曲」などというものは子供にとってはとっても少なく、生まれて10年やそこらの子供たちにとってはYOASOBIの〈アイドル〉だってストラヴィンスキーの〈春の祭典〉だってベートーヴェンの〈運命〉だって新しく出会う曲、という意味ではどれも同じだ。それを大人が「面白くない」とか「眠たくなる」とか、「子供には分からない」と先回りしてしまうのは勿体無いと思う。
「知っている」「知らない」にかかわらず、先のようなオーケストラ奏者のアウトリーチ活動ならば、オーケストラの楽器で演奏すること、オーケストラの楽器の音色に直に触れられることを活かせる曲目(オーケストラの楽器で奏でる前提の音楽)であるべきだと思う。
そもそも「アウトリーチ(outreach)」という言葉の意味自体「手を伸ばす・差し伸べる」という意味であり、音楽団体や音楽家に関して言えば、ホールを出て学校などの現場へ出向いて音楽普及活動を行うこと、普段ホールなどへ行かない・行けない層へ自分たちの音楽を届けて楽しんでもらうのが目的だ。
オーケストラの出張なのだから、自分たちの十八番、本領を発揮できる「本物」音楽を届けて、新しい音楽との出会いを生み出すのが最上だと私は思う。子供たちの反応を気にしてとにかく喜ばせることが目的ではないはず。ポップスや流行の曲はそちらの「ホンモノ」を聴いて楽しんでもらう方が最上でしょう、というのが私の考えである。極端な話、ポップスのプロ(ご本人)がアウトリーチ活動を行えば、最高の体験になるじゃない、と思うのである。あまりそういうイメージはないが……。(結構やってたらごめんなさい)
別にポップスが悪でクラシックが良いとかそんな話はではなく、別物であり、ポップスもクラシックも原曲(に近い編成)が完成形でそれが最上に決まっているので、それぞれで最上を届けるべきと思うのだ。
もちろん「流行の曲で楽しんでもらいたい」というのも、全く分からないわけではない。しかしそれはオーケストラのアウトリーチ活動としてベストか?というと疑問を感じる。アウトリーチ活動の目的からすると、あえてこういった演奏の機会でいつでも動画サイトで見れる・聴けるような「知っている」曲をわざわざ演奏する必要はないと思うのだ。ま……私は聴衆側でもなし、演奏側でもないが(笑)
それぞれのジャンルの音楽、そしてアーティストの魅力が最大限に伝わるのが一番良いと思うんですよね。ポップスはポップスの、クラシック音楽はオーケストラやその楽器が、それぞれの曲の魅力を最大限に引き出し、伝えたい音楽に触れてもらう。その上で「つまらなかった」とか「眠かった」とか、「あんまり好きじゃない」とか、そういった受け止め方も出てくるのはそれは良いことだと思っている。プラスでもマイナスでも、色んな感情を引き出す、っていう行為は音楽を体験する上でとても大切なことだと思う。そして全員に好かれる、全員から良いと思ってもらえる音楽は存在しないので。
なので、オーケストラのアウトリーチ活動をされている方々は、子供が「知っている曲」かどうかを気にするのではなく、自分たちの本領を発揮できる音楽で勝負して欲しい、と密かに願っているのである。それが地域単位のクラシック音楽の普及に繋がったり、未来の日本の聴衆を育てることに繋がったりすると思うので。勝手ながら、直接関係のない私はそんなことを考えた。
ピアノの話へ戻ると、私も、子供が「知っている曲」だろうか……などクヨクヨと気にする必要はないのだ。子供たちが「知っている曲」じゃないからつまらな〜い、だとか、やりたくな〜い、だとか言ってきたわけではないのに。知らない曲にだってキラキラした反応をたくさんくれるのに。バルトークで踊るし、モーツァルトの鼻歌を歌うのに。大人である自分もまた、勝手に決めつけていた部分が少なからずある。
子供たちにとって、ほとんどの曲が「知っている曲」ではない。まだ知らない出会える音楽がたくさん待ってくれている。私は流行り廃りが比較的関係なく永く愛していけるクラシック音楽(と、その地続きにあるジャンル)をこよなく愛していて、この一生掛かっても知りきれない魅力を共有したくてこの仕事をしている。それが自分のレッスンの骨だ。
「知っている曲」で子供の興味を持たせるレッスンをする先生もいるだろう。「知っている曲」を弾けることこそが子供にとって最良!と考える先生もいるだろう。それはその方針の先生に任せておけば良い、私はそうではないのだな……と。
言ってしまえば、流行ってるやらバズってるやら「知っている曲」を、本当に自分の手で弾いてみたい子供は、こちらからわざわざ提示せずとも勝手に弾くのだよ……。また、勝手に弾けるように力をつけてあげるのも自分の役目。
せっかくピアノという楽器と出会ってくれたのだから、私はたくさんの初めましての曲との出会いを大切にしてあげたい、大好きなピアノ音楽、そしてクラシック音楽の魅力を伝える努力をしていきたいと思ったのだった。それはそれは長い目で……。
参考
〈文献〉
〈webサイト〉