やっぱりロシア音楽は「美しい」よね【N.ミャスコフスキー】

美しいものが好きだ。

美しい音楽を聴くのはもちろん、美しい美術品を見るのも好きだし、美しい洋服や食器を集めるのも人から呆れられるくらい好きで、美しい文で書かれた本を読むのも美しいイラストで描かれた漫画を読むのも好きだ。

私の言う「美しい」はおそらく古典的なもので、複雑なことは含んでおらずその言葉通りの意味である。色が綺麗、和音が綺麗、デザインが綺麗、文章の言葉選びが綺麗。「綺麗なもの」が好きで、対象が何であれ「綺麗(=美しい)」かどうか、という物差しでものごとを判断し、選択している。

大学生の時、ラフマニノフとスクリャービンにハマっていた。
うねるような半音階、重たい響き、美しいメロディー、ドラマチックな展開の音楽に虜になった。

特に、この終わりなき旋律線が好きだ。非常に「歌的」である。ピアノで素敵に弾くのが難しいやつ。

ロシア音楽界は、18世紀頃までロシア正教会の影響で声楽のみの発展にとどまった、という経緯があってか、器楽曲にも歌を感じられる。旋律線が美しく浮かび上がる曲が非常に多い。
器楽の発展が遅れた、という見方をされているが、では器楽の発展が西欧諸国と同スピードだったら今のロシア音楽はどうだったか?とも思う。

18世紀は近代化政策の一環で、海外から音楽家を招聘し、イタリア音楽を中心に演奏の機会が増え、音楽文化が基盤が出来上がった。19世紀には音楽院が設立され、チャイコフスキーなどロシアを代表する音楽家が活躍した。現代の人々のいう「ロシア音楽」はこの時代(19〜20世紀)の音楽が中心だろう。チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ……と数名挙げただけでもその時代の充実ぶりが伺える。ロシア音楽の黄金期である。

そんな、どぷりと浸かっていたロシア音楽からしばらく離れていた。
大学の卒業論文テーマは「チェコの音楽文化」に関するものだったので、卒業までの約1年、チェコ音楽で頭がいっぱいになってしまったのである。

(今思えばチェコとロシアは切り離せないと思うが、勉強不足な学生を許して欲しい。)

もちろんチェコ音楽と出会ったことで守備範囲が広がり、音楽生活がもっともっと楽しくなったのは言うまでもない。チェコ以外も広く「国民楽派」の時代の音楽を好むようになった。

そしてついに、久しぶりに私をロシア音楽へ引き戻してくれた(?)のが ニコライ・ミャスコフスキー(1881-1950)の〈ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 op.70〉である。

この、すっ、と天から降りてくるかのような冒頭のピアノ伴奏。後に入るヴァイオリンは、23小節にまたがる息の長い、ほとんどが四分音符でできているメロディーを歌い上げる。長調であれ、どこか仄かな暗さや悲しみをたたえた歌。ゾクっとする転調。そういった陰影のある美しさに惹かれていた、昔の感情を思い出した。

演奏会のレパートリーに入らないのが不思議なくらい良い曲だ。
ラフマニノフやプロコフィエフなどの同時代を生きた作曲家と比べると、ミャスコフスキーの知名度は、抜群に低い。(なぜか録音は意外とある。ピアノ曲はあまりないけれど……。)

交響曲を27曲書き上げ、ピアノ・ソナタも9曲もある。生前、ロシア国内で活躍し、評価もされていたのだが、おそらく一生をロシア国内で過ごしたことも影響しているだろう。やはりアメリカなどへ渡り国外でも名声を得て世界的に活躍する(目立つ)、という経歴はのちの知名度に影響しないとは思えない。

また、【グリンカからロシア5人組に繋がる「ロシア音楽」が芽生えた黎明期】→【ラフマニノフ、カバレフスキー、ストラヴィンスキー等が活躍した、国外でもロシア音楽が演奏・評価された黄金期】の、丁度橋渡し的な存在であり、「これ」と定義しづらい間の時期に活躍したことも原因な気がする。

ピアノ曲の楽譜をいくつか見てみると、基本的には古典・ロマン主義的手法に基づいて曲が作られているのだが、中にはやや複雑な譜面もあり、動き続ける時代の中で試行錯誤をしながら音楽を生み出していたことが窺える。

このチェロソナタもどうでしょう。映画音楽のようなポピュラー性も持ち合わせていて非常に良いと思いませんか。

皮肉なことに、私が愛する「民族の香り」が強い音楽というのは、過去の戦争や外国との対立、侵略がきっかけで生まれてきたものも多い。他国からの侵略に対峙し、自国民意識が強くなり(または、その意識を強めるために)音楽に昇華させる。侵略や戦争により他国へ領土を拡大し、周辺国(地域)土着の音楽を自国の音楽に「異国趣味」として取り入れる。

音楽をやっていると、他国・他民族(の文化)と向き合ったときにはじめて、自分の民族というものを強く意識するのだと感じる。自分たち自身の文化であるのに、他国・他民族との関わり(しかもどちらかと言えば「負」の)の中でこそ「濃い」ものが発露するように思う。

(こんな時代だからこそ敢えて言うが、だからといって戦争や紛争を肯定しているのではない。前述したことは流れる歴史の結果に過ぎない。)

民族がどう、などと言っていると大学時代を思い出す。遠い遠い極東から思いを馳せていたから……。

周辺国とも数多く国境を接する大国であるロシアは、昔から他との向き合いをせざるをえなかっただろう。それは今でもなお。

ロシア音楽の立ち位置は?ロシア音楽とは何なのだろうか?という自民族意識の高まりとともに、外国でも通用するロシア生まれの一流の音楽を、という向上心のもとロシア音楽は発展を遂げた。この時期のロシア音楽の魅力は、ロシア文化に根差しながらも世界で通用する高水準の芸術音楽を目指したところに起因するのだろう。

ああ、やはり、ロシア音楽は美しい。

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